あんまり好きではない言葉
あまり好きではない言葉がたくさんあります。
たとえばこの仕事をしていてよく使われる、「癒される」という言葉、これってあまり好きではありません。
言葉そのものがキライというよりは、使われ方が好きになれない。
なにかにつけて「癒されるぅ~」と言う。
そしてやたらと使われる「癒しの何たら」「癒しのかんたら」。
10数年前のファッション雑誌を見ていたら「癒しという言葉を知っていますか?」だったか、「ヒーリングという言葉を知っていますか?」だったか、そんなセリフが書いてありました。当時は、なじみがなかったのですねえ。ちょっと前まで「癒す」「癒される」という言葉は、聖書などで、たとえば生まれつきの盲人が見えるようになるなどの宗教的な奇跡のようなことでは使われても、あまり一般的ではなかったように思うのです。
いまは、リラックスできる、ほっとする、気持ちいい、なごむ、という意味を、十把ひとからげに「癒されるぅ~」と言ってしまっているみたいな気がします。
「いやされるぅ~」、じゃなくて、「安らぐわぁ~」と言えばいいのに。
癒されることを、誰か、どこか、何か、外に求めて、さまよう私たち。
そんなふうだったかしら?昔から。
安らぎという言葉を使っていたなら、そういうことって、本当は自分の内側から湧き上がるものだと気づきます。
慰安的業種も、バカスカ生まれてきている。犬も歩けばヒーリングに当たる。
自分の業種も含めて、誰かを癒したい人々、癒されたい人々がうじゃうじゃ居る。
(まあ、癒したい人々は、本当は人を癒すことによって自分が癒されたい人々だと思うけど)
ちなみに、申し訳ありませんが、フィジレボには、(いわゆる)癒し要素はありません。
こんなことを書くと、人が来なくなるかもしれないけれど、施術後「きもちよかった~」という人はあまりいらっしゃらないかもしれません。
「この痛みに耐えた者だけに与えられる栄冠があることをわかっているから我慢します」という方の方が多いですかねぇ・・・
こんなこと書いちゃまずいかなあ・・・・・・
(いま使われているような意味の)「癒し」はどこにでも転がっているんですよ。イヤ、自分の中から生まれていくんですよ。
治癒、元に近い状態に戻す、そういうことも、自然治癒という言葉があるように、自分のカラダや心が自然にそうなっていくんですよ。
痛かったり不調だったりするのを、そうではなくさせていくことを、おおかた治療と呼ぶ。以前「チカ治療室」だったときには、それを目標としていました。
フィジレボになってからは、それプラス、手作業で、それ以上のことができないか、元の状態以上にできないか、フィジカル(身体)をレボ(変革)できないか、とあがいているのです。
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